鼻ツン闘病記34:困った時はお互い様

ライトニングハワイ、ハワイ暮らしと大人のてんかん闘病記

病気が辛くないのは夫のおかげ

チームになって乗り越えよう

今日は申し訳ありませんが、ちょっと「お尻がムズムズ」するようなお話を書かせていただきます。

なぜかと言いますと、日本語のウェブサイトを検索していて偶然に、てんかんのために離婚を言い渡された方や、結婚をためらっている方などのお話をたくさん知り、少しでも希望を持っていただくことができたらと… 同じてんかん患者として、恥ずかしながら私の経験をお話しさせていただきたく思ったからなのです。

先日誕生日を迎え、夫から「いつもありがとう」と、ぷっくりとしたハート形のペンダントをもらいました。義母からも、私が大好きなプレシャスモーメントの人形を2体いただきました。

てんかんにかかり、運転もできなければ、以前に比べて生活力も格段に落ちた私に、それでも「ありがとう」と言ってくれるなんて、申し訳ない限りです。まさか、実家から遠く離れたハワイという地で、これほどまでに気が合い、優しい人々にめぐり合えるとは思ってもみませんでした。

若い頃は一生結婚するつもりはありませんでした。「障害のある家族もいるし、生活力をつけなければ」という思いと、一生続く長く困難な道の途中で、ちょっとだけ自分の好きなことをさせてもらおうと、32歳にして、大伯父、叔母が住んでいたことのあるハワイに留学。ここで人生が変わりました。

ハワイ大学で初めて勉強の楽しさを知り、親にわがままを言って大学院まで都合6年間も勉強させてもらいました。大学院生活も終わろうとしている頃、出会ったのが夫です。

芸人さん(手品師)という、今まで私の周りにはあまり見たことがない職業も面白かったし、何せ本や映画の趣味がぴったり。また夫の家族の雰囲気が、我が家と非常に似ていたのです。質素だけど動植物が好きなところとかね。だから、外国人という感じは全くしませんでした。

20年ほど前、義父と義母は相次いで卒中(ストローク)で倒れ、義母は長い間寝たきりで、いわゆる植物状態になりました。夫は当時、サンフランシスコでストリートマジシャンとして活躍、米本土でも売れだした頃だったのですが、実家に呼び戻され、親の介護を余儀なくされました。義父は亡くなりましたが、義母は驚くほど回復し、今は詩人として活躍しています。

だからでしょうね、夫の家族は社会的に弱者と呼ばれる人々にとても優しいのです。私の障害のある家族のことも心から大切に思ってくれて、毎日食前には祈りを捧げてくれます。

以前は、「将来は一人で切り開いていかなければ」と鼻息も荒く力み返っていましたが、力を抜いて、誰かと協力しながら海を渡っていくのも悪くないと思えるようになりました。

なので、病気を発症した時も、まったく離婚を突きつけられるなどとは考えてもみませんでしたし、夫も「困った時はお互い様」と鷹揚なものです。本当に困った時はお互い様なのですよ。だから、病気になった配偶者に離婚を言い渡すなど、考えて欲しくないです。また、結婚をためらっている方には、困難な道はチームとなって乗り越えた方が絶対うまくいくと伝えたいです。

難しい話だとは思いますが、希望を持っていただきたく、ムズムズ話をシェアさせていただきました。

鼻ツン闘病記35へ続く)