ハワイ灯籠流しに思ったこと

ライトニングハワイ、ハワイ暮らしと大人のてんかん闘病記

自分の核になるものは

宗教? 民族? 文化? それとも学問?

ずいぶんと更新までに間が空いてしまいました。日本から帰ってきて仕事に復帰し、生活が激変。とりあえずあれやこれやを整え、たまっていた物事などを片付けつつ、やっと落ち着いた今日この頃。これからはキチンとブログも更新していかなければ。励ましのメールを送ってくださった皆様、本当にありがとうございます。

5月25日(月)はメモリアルデーと呼ばれるアメリカの休日でした。もともとは戦没将兵記念日として、戦争で亡くなった人々を悼む日という意味合いがあったのですが、今はもう少し間口を広げて、亡くなった大切な人々を悼む日と認識されています。

この日にハワイのアラモアナ公園で大々的に行われるのが「ハワイ灯籠流し」です。地元の人々を中心に世界中から5万人もが参加する大行事なのです。

▪️灯籠流しについては、Myハワイ歩き方のこちらの記事をご覧くださいね。

え? ちょっと待って、灯籠流しってお盆の時に行われる仏教行事じゃないの? ハワイにそんなに仏教徒って多いの? って思われる方もおられるのでは?

確かにもとは宗教行事ですよね。ハワイ灯籠流しも仏教系の宗教団体の主催だし。ただ、地元の人々は宗教や国籍を超えて、亡くなった人々を悼みたいと思う人がほとんどではないかと思います。現に来賓にも、ハワイの各宗教の代表者たちが参加しているし。

なので、仏教行事から派生したけれど、現在はメモリアルデーに行われるハワイの文化行事であると認識している方も多いのでは。

ライトニングハワイ、ハワイ暮らしと大人のてんかん闘病記と、ここでちょっと、「自分の核をなすものは?」という認識について考えてみたいと思うんです。もちろん、これは個人差のあることですし、あくまで私自身の体験と、私自身の認識に限られますが。

自分の核をなすもの、つまり自分が帰属するものは? 自分という人格を作り上げているものは? ということです。

日本では宗教についてあまり真剣に考えたことはありませんでした。私の母方の家族は日本では少数派のクリスチャンですし、小さい頃は日曜学校などにも熱心に通っていましたが、同時に毎年神社で初詣をして、仏教のお葬式にでて…さらに、多神教的に、「トイレの神様」的なものも信じたりと「なんでもあり」の状態でした。

日本では、宗教熱心な人々に対し、ある意味ちょっとネガティブな感覚を抱く人々も多かったように思います。例えば所属する宗教の関係で、体育のある種目に参加できない子どもたちとかに対して、あまりリスペクトのない態度をとる人も多数見てきました。

「宗教=激しい勧誘」などと思ってしまうような出来事もあったし、自分の宗教を打ち明けることも容易くないのではと思います。「特定の宗教に属していない」、「宗教について考えたこともない」などと言っても、びっくりされることもなかったように思います。

ところで、ここハワイでは、宗教が自分の核をなすものである、という人々がすごく多いです。ほとんどがなんらかの「自分の信じるもの」を持っているのではないかと思います。初対面の人に宗教を聞かれることも多いですね。最初はびっくりしたけど。

宗教以外に「民族」に帰属意識を求めるシチュエーションもありますよね。また、民族から派生して、「文化」も自分の核を大いに為しているのではないかと思うのです。例えば、ハワイアン文化は、先住ハワイアンの血が入っていない人には触れてもらいたくないという人もいるわけで。

ハワイはご存知の通り、ありとあらゆる民族の人々が共存している場所です。さらに多民族同士、多文化同士の結婚も多く、ハパと呼ばれるたくさんの民族的背景を持つ人々も多数。その場合、民族という括りで自分の帰属場所を決めるのは難しいですよね。

だからでしょうか? 家族が代々ハワイで生まれ育った人は、ハワイアンの血を引いていなくても「ローカル」という帰属意識が強いかと思います。ローカル論にもいろいろあって、「祖先がプランテーション文化を経験しているかいないか?」がローカルと他を分ける指標であるという説もあります。

逆に、他所で生まれ育っても、現在住むハワイへの尊敬度、貢献度が大切という人もいます。また、アメリカ合衆国に忠誠を尽くし、民族はどうあれ、アメリカ人であることがアイデンティティだと言い切る人も。夫の妹などはハワイ生まれのハワイ育ちでミリタリーに長年いますが、自分が帰属しているところは軍で、自分はアメリカ人でアメリカを愛しているとはっきり。

学問も大きなファクターです。大学でも学部生は自分の宗教を持っている人々が多かったです。しかし博士課程や教授の人々のなかには無宗教の方も。学問を通じて探求の旅に出ることで、宗教意識が低くなる傾向もあるのかな? いわば「アカデミア」が彼らの属するところなのでしょうね。

と、考えると、帰属意識ってまるで「あや織り」のように、いろんなファクターが縦横ナナメに重なっていて、そのなかで密なところ、スカスカなところもそれぞれあって、で、ここは取り入れるけど、ここから先は受け入れられないという境界線も人によっては、その範囲がうんと狭かったり、やたら広かったりするのでしょうね。

だから、仏教徒でなくても灯籠流しに参加して、アロハの心で大切な人々を悼みたいという人々もいれば、気持ちはわかるけど、どうしても仏教行事には参加できないという人も。

逆にアロハの心って他所からの人に軽々しく使ってもらいたくないという人々もいれば、私たちが大切にしてきた「アロハの心」をハワイ以外の人々と分け合うことができて嬉しい!という人々も。

考えは様々だけど、ハワイの人々は、自分の物差しを他人に強要することは少ないと思います。それぞれの考えをリスペクトして、「同じじゃなくていいし、自分が信じるようにいけばいい」と。このように考えられるのは、自分の帰属意識とその境界線をはっきり認識しているからだと思うのです。

自分ならではの帰属意識、自分の核をなすものが何かについてのぶれない意識をもち、でも他人の考えを決して否定することなく、リスペクトの気持ちを持って生活していきたいものですよね。

って、久々にブログを書いたら、なんだか大マジになっちゃいました。長文失礼しました〜!

  • もふもふ

    ご機嫌よう。
    「帰属意識」ですか。帰属意識を構成する要素は大きく分けて2種類あるのではないでしょうか。
    第一に個人の帰属意識の 根幹をなすのは、「識閾下の帰属意識」だと考えられます。生育歴の中で、識閾下に“情緒或いは心理的生理反応〝として刷り込まれたもの。わたくしに於いては、祖先と家族。そして〝万物に神宿る〟と自然に受け入れられる、たぶんに江戸時代の汎神論的な仏教でしょうか。何故なら、日常生活に於いて自然に「ありがとう」と反応できて心満たされたり、「わたくしは己にこれは許せない」と善悪の判断基準になる価値観はこれに起因していることが多いのを自覚するからです。
    第二は、第一の帰属意識が基盤となってこの上に構築されていく「理性的な帰属意識」だとわたくしは考えます。何故ならわたくしにとり、これは三十数年にわたり専門職として携わってきた職業のなかで陶冶されてきたものなのだという事は、日々痛感しているからです。
    いつまでも生きる喜びと万物への好奇心、自らの矜持を失わず生きられる事に感謝を忘れたくありません。その土台には何かあれば帰っていける「帰属意識」があるのです。

  • lightninghawaii

    もふもふ様、こんにちは。
    なるほど、生育歴の過程で発生したものがありつつ、その上に理性的な帰属意識が構築された帰属意識がある、と。本当ですね。私も家族に教えられたこと、学校で教えられたベースがあるから、現在日々の仕事やハワイでの生活の中で揺らぎなく少しずつ積み上げていけるのだと思います。
    素晴らしいお話をありがとうございます。感謝、感謝ですね!