同時多発テロから16年:9月11日のハワイ

ただ茫然と大学へ向かったあの日

今朝出勤の途中、ホノルル・ハレ(市庁舎)のそばを通ったら、ピシッと制服に身を固めた警察官をたくさん見ました。そういえば、今日は9月11日。16年前に起こった同時多発テロの追悼イベントが行われていたのですね。

同時多発テロが起こった日のことは今でも鮮明に覚えています。

当時私はハワイ大学の学生でした。と、言っても、社会人を経験してからの自費留学でしたので、フレッシュさはまったくありませんでしたが。

それはさておき、2001年の9月11日、何故だか早く目が覚めて、ふとPCを開いたところ、貿易センタービルに飛行機が突っ込んでいるニュース映像が繰り返し流れていたのです。

すぐ居間に行き、テレビを着けました。と、そこには信じられない光景が。あまりにも唐突な映像で、にわかには現実の出来事と信じ難く、どこか絵空事のように思えながらも、ニュースキャスターたちのただならぬ声音に、現実感がひたひたと迫ってきたのを覚えています。

当時は大学近くのモイリイリという場所に、ルームメイトと住んでいました。その朝ルームメイトとどのような会話を交わしたかは不思議と覚えていないのですが、「とりあえず授業に出なければ。大学に行けば何かがわかるはず」と思い、歩いて大学に向かいました。

クラスで黙祷

最初の授業は、Ric Trimillos教授の、フィリピン関係のクラスだったと思います。クラスに着くと、異様な雰囲気で、皆お互いにニュースを見たか確認し合いました。何も知らずに来たクラスメートは、ただただ茫然。

教授は開口一番、「まだ何があったかははっきりと伝えられていないが、ニューヨークで非常事態があり、たくさんの人々が亡くなった」ということを説明。皆で立ち上がって頭を垂れしばらく黙祷しました。

その後、事務連絡を終えた後、授業を行いましたが、動悸が速く、頭が真っ白になったようで、全員声が上ずり気味だったのを覚えています。

家に戻り、ニュースを見ながら、何が起こったかを知りました。少しずつ全貌がわかってくるにつれ、何ともうすら寒く恐ろしい気持ちになりました。

テレビでは、貿易センタービルから落下する人々の画像がなんども流れ、やりきれない気持ちになりました。

どんどん増えていく星条旗

次の朝、私たちのコンドの入り口にはアメリカ国旗が翻っていました。テレビでは、このテロでハワイ出身の人々もずいぶんと犠牲になったことが伝えられました。

街のあちこちに日に日に星条旗が増えていき、人々の愛国心が高まっていくのが、肌で感じられました。

当時は留学生で、まだアメリカとは少し距離を感じているところがありましたので、この愛国心の高まりが、恐ろしいといえば語弊がありますが、なんだか、自分が入れる隙がだんだん狭くなっていくというか、そういう風に感じたものです。

私たちの学部はアジア太平洋研究科だったので、たくさんムスリムの留学生がいました。仲良くしているインドネシアの子達も数人いたのですが、彼らの姿を見かけなくなりました。帰国したのだと思います。

ルームメイトは日本人でしたので、お互いに冷静でいることができましたが、アメリカが戦争へと突き進んでいく怖さをまざまざと感じていたものです。

反戦集会とそっと立ち去る人々、リベラルでいられる豊かさ

ある日、これもフィリピンの政治のクラスの途中だったと思います。とある教授が皆外に出て付いてくるようにと言いました。そこでは、テロへの報復の戦争に反対する集会が行われていました。

教授は戦争に強く反対しており、賛同する生徒は一緒にここに残りなさい、と。私は仲の良いフィリピン系のクラスメートたちと一緒にいたのですが、彼らは「僕たちはここに残れないよ」と言うのです。

フィリピンから親の世代で移民してきた子たちは、親がアメリカ海軍に入隊することで、アメリカ市民権を得た場合が多いのですね。だからミリタリーはとても身近なところにあり、とてもじゃないけど、反戦集会に出たりする余裕はないわけです。だから彼らは素早く立ち去りました。

反戦集会に出ている外国出身の教授たちは、祖国ではかなり豊かな育ちであり、アメリカへは学問で入ってきたわけです。他に反戦集会に出ている学生たちも、もちろん全員ではありませんが、ある程度自由に教育を受けられる恩恵を預かった人々であり、苦学はしていても、基本的には豊かなわけです。恥ずかしいけど私も含め。

そう考えると、何だかいたたまれなくなりました。リベラルが恥ずかしいのではなくて、他国出身の私がリベラルぶっているのが、市井のアメリカの人々の前でどうなんだろうと思うと、自分の頭でっかちがいたたまれなかったんですね。だから教授には申し訳ないけど、集会はそっと立ち去るしかありませんでした。

でも、やはり戦争は肯定できず、アメリカ国旗を飾ることもできず、住ませてもらい、勉強までさせてもらっているこのハワイで、私なりに貢献できることをやるしかないと、真面目に学費を納め、勉強するしかなかったのです、

少しずつ落ち着きを取り戻したハワイだけれど

その後、星条旗はしばらくひるがえっていたものの、人々は次第に普段の生活に戻り、政権は交代し、同時多発テロはいつしか遠い日の話になってしまいました。10年ひと昔と言いますが、あれから16年も経っているとは。

大学は無事に卒業し、大学院に進み、リサーチや論文に終われ、卒業し。就職し、結婚し、病気し、親を介護し、見送り…と、身近なところでの浮き沈みを繰り返しなら、時はどんどん過ぎ、ただただ毎日を重ねてきたのですね。

すっかり平和な気分が充満している現在のハワイですが、それでもいつ何事が起こるかわからないわけで、そのような中、まずは自分にできる目の前のことを少しずつ片付けていくしかないのだなとも思っています。心の中に静かに信念を灯しながら。

なんだかいろいろ書いてしまいましたが、これはあくまで私個人が感じたことなので、その旨ご了承ください。