祖母の思い出

何かにつけて個性的だった祖母

お盆ですね。なので、昨年亡くなった父方の祖母のことを考えています。

同じく昨年死去した父のことは、以前も書いたので↓、今日は祖母のことを。

■父の日によせて

祖母は、私が子どもの時に、すでにかなりの高齢でしたが、非常に健康で107歳まで生きました。

戸塚刺繍の講師をしており、縁側や部屋の隅にペタンと座っては、黙々と刺繍を刺していた姿が思い浮かびます。上の写真のように、祖母の家の家具という家具には、刺繍を施したカバーが掛けられていました。

何かにつけて個性的だった祖母は、刺繍のモチーフもかなり「フリースタイル」というか、独特のデザインを好んでおり、今にして思えばわりとセンスが良かったのではないかなと思います。

昔の人にしてはずいぶん大柄で、若い頃はバレーボールの選手だったそうです。

手も足も大きく、靴のサイズが25センチというのが祖母の自慢でした。また脚も長く、常にパンツを愛用。今は死語だと思いますが、「パンタロン(笑)」という、膝ぐらいまでぴったりとしており、その先がラッパのように開いたタイプを好んでよく履いていました。

じぶんで自分のことを「ハイカラ」と称しており、進取の気性に富んでいたかと思います。いわゆる「可愛いおばあちゃん」では、全くありませんでした。

祖父の死後は、しばらく一人暮らしをしたものの、今では珍しくないのですが、当時はまだ数も少なかった独居シニア用の集合住宅に引っ越し、そこで30年以上も過ごしました。たくさん友人を作り、俳句をひねったり、様々な習い事をしたりしながら、第2の人生を大いに楽しんだようです。

ハワイに嫁いだ叔母を訪ねて何度かハワイ旅行もし、叔母が米本土に越してからは、一人で冬のネブラスカにも出向きました。驚くほど頭がはっきりしており、祖母曰く「歳をとればとるほど頭が冴えてくる」ということでした。

投稿マニアで、新聞にしょっちゅう投稿しては、結構な頻度で掲載してもらっていました。内容は「老の独り言」的な、ほのぼのネタが多かったようです。

100歳を超えた時には、福岡市から銀盃をいただきました。健康自慢の祖母も、やはり100歳を超えると、何かと難しくなり、最後は老衰でなくなりました。ちゃんと身辺整理もしてあったそうで、貯金などは「兄弟で仲良く分けるように」と書き残してあったということです。

最後までしっかりものだった祖母。隙というものがまったくなく、格好いいおばあちゃんでした。今はあの世で父と再会していることでしょう。