アニメーション「無念」の凄さ(というか凄味)

大和田新氏の講演会「福島を伝える」に参加して

先日、パロロ本願寺で行われた、大和田新氏の講演会に行ってきました。知り合いの方に招待していただき、取材がてら興味深く訪ねてみたのです。

大和田氏のバックグラウンドおよび講演会についての詳細は、Myハワイに詳しく書いたので、下記の記事をみていただくといたしまして…

■「福島を伝える」大和田新氏の講演会、大盛況で終了

福島の現在を伝えるアニメーションと聞いて、私の中では「火垂るの墓」のようなものを想像していたのです。きっと泣かせるものに違いないと、バッグにはティッシュを忍ばせて行きました。

会場はお寺の本堂で、正面にはホワイトボードに布をかけた、やや素朴ともいえるスクリーンが設置してありました。

ハワイのお寺の本堂は教会のように長椅子が設置してあるところが多いです。その一つに腰をかけ、正面のスクリーンを覗き込みます。

アニメが始まりました。

…そこにあったのは、大きな筆で描いたような、シンプルな筆致の絵でした。登場人物の顔などは、ずいぶんと質朴で、絵本または紙芝居のような感じです。動きも、ちょうどバラバラ漫画をめくるようで、決して派手なものではありません。

しかし。

アニメから音声が流れた途端、一気に入り込んでしまいました。

登場人物の声は、とても淡々としています。福島の方言が決して誇張されすぎておらず、実際に街中や役場ではこんな風なんだろうなと、その場にいるような気分にさせてくれる声、話し方です。

このアニメーションの吹き替えは、一人のプロを覗き、全ては実際の町民の人々によるものなのだそうです。だから、彼らの気持ちが痛いほどストレートに伝わってくるのですね。

登場人物同様に、物語の進行もとても淡々としています。伏線を張ったり、暗喩をちりばめたりといった虚飾はいっさいなく、とても真っ直ぐです。感情の表し方が控えめなだけに、真実味があり、また人々のやるせなさ、悔しさが滲んでいるかのようでした。

約50分ほどのアニメーションだったのですが、本当にあっという間に感じられ、5時間でも見ていたいほどでした。

そして、このアニメーションをできるだけたくさんの人に観てもらいたいと切に思いました。素朴の凄さ、人々の心のパワーにやられました。伝えたい事が痛いほどに溢れている、凄味のある作品だと思いました。

なので、質疑応答の時、大和田氏に訪ねてみました。
「このアニメーションをたくさんの人々に観てもらいたいのですが、何か方法はありますか?」と。

その後、会場でのやりとりがあり、なんと会場のパロロ本願寺さんでDVDを預かり、貸し出してくださる事になりました。ダメ元で尋ねてみたことに、大和田さんとパロロ本願寺の藤森先生が素早く回答してくださり、嬉しいやら感動するやら。

本当に素晴らしい会でした。出会いに感謝です。

ああ「無常」

二度と同じ瞬間はないのだから


常に頭の中ではキャッチコピーを作りつつ、目でシャッターチャンスを探しまくっている日々です。落ち着かないと言ったらないのですが、職業柄仕方ないのです。

さらにハワイ短歌会にも入ってしまいましたので、すきあらば、頭の中で五七五七七を数えてしまいます。運転中はさすがに安全には留意しているものの、かたっぱしから言葉を組み合わせて、ちょっと良さそうな短歌ができないか考えています。

ときどきパズルがピタッとハマるように歌ができることがあります。そういう時に限って高速をドライブ中だったりします。後からメモしようと思っても後の祭り。心に浮かんだ歌は、車を降りる頃にはどこかへ飛んで行ってしまっています。

シャッターチャンスだって同じ。くっきりとダブルで美しい虹の大アーチを見た時に限って運転中なんです。慌てて道端に車を停めた時には、あらかた虹が消えていることも。

雲だって夕日だって、「ああ撮りたい」と思った瞬間からどんどん形や姿が変わっていくわけで、だからこそ、望んでいた瞬間が撮れたときは殊の外嬉しいんですけどね。

何もかもが移ろっていく…その「無常」の世界に、昔から日本人は侘び寂びを感じてきたわけですが…

確かに、二度と同じ瞬間はないと思うと、一瞬一瞬を大事に過ごさなければとも思うし、「もっともっとキリキリ巻き上げていかないと」と、自省したりもするのですが、逆に考えると、二度と手に入らない瞬間が毎日毎日常に自分を通り過ぎて行ってくれていて、それを取るも取らないも自由というのは究極の贅沢だよな、と思ったり。

こんなとりとめもない事を考えつつ、今日の夕方に見つけた、巨人が手を振り上げたような形の雲を撮り損ねた事をつくづく惜しんでいるのです。

やっぱり書きたいから

いろんなことがありましたが


ブログを1年近く放ったらかしていました。こんなことではいけないとわかっていましたが、なかなか機会がつかめず。
でも、今日再び書きたくなるような出来事があったので、久しぶりにページを開いたというわけです。

この1年間、本当にいろいろなことがありました。

父、祖母、従兄弟の死。

母の認知症発症。

母と障害のある妹が一緒に入れる施設へ入居。

自宅売却。それとともに、転出届も出しました。

日本に何度も帰りました。だんだん話が通じなくなる母と妹にやきもきしながらも書類仕事を進め、自宅も更地にしました。
子どもの頃からの思い出の品も持ち出す暇もなく、あっという間に買い手がつき、一気に片付けられてしまいました。

家を売った資金は、母と妹の今後の生活費に充てるよう手配しました。母は遺族年金、妹は障害者年金を貰っているので何十年かは大丈夫なはずです。
でもこれで、私が帰れる故郷は、ほぼ消滅してしまったことになります。これからはハワイのみを故郷に生きていかなければなりません。大げさですが。

で、これは蛇足ですが、父の遺産相続でわずかなお金を手に入れたので、夫の仕事用の車と、以前から欲しかった、ちょっと高めのバッグを買いました。

…と、こんなことがいっぱいあったわけですが、その間、ずっと2つの仕事は続けていました。夫との関係も良好です。働くことができ、家庭があり、ありがたいことです。

近況報告はここまでにして…

本日パロロ本願寺で、元ラジオ福島のアナウンサー、大和田新氏の講演会およびアニメ「無念」の上映会取材に行ったのです。
この催しについては、また次回じっくりと書かせていただきますが、そのなかでとても印象的な言葉があり、それがほぼ錆び付いていた私の気持ちに、再び活気を与えてくれ、で、矢も盾もたまらずこの鬱勃としたものを、ここに書き綴っておこう、と。

大和田氏はご退職後、福島の現状を伝えるという自らの使命にかられ、講演活動に携わっておられます。
ハワイでも素晴らしいお話をきかせていただいたのですが、その中で福島の若者たちのお話になりました。

福島の原発事故被災地の高校生は、大変な苦難を乗り越えて、皆夢を抱いているわけです。
「医者になりたい」または「〇〇先生のような人になりたい」と。

そんななか、高校生に自身の夢を聞かれた大和田氏はふと詰まってしまいます。

私は中年だから…と。で、生徒は言い放つわけです。

「夢を語れない大人なんて意味がない」と。

私の夢ってなんだろう? 夢という言葉を使うことすら気恥ずかしい気持ちになっていた今日この頃。

やっぱり書くことなんですよね。今も物を書く仕事に携わっています。華やかな反面不本意なことも多く、商業主義にまみれつつ、虚飾を伝えることに大きな時間を割かれることも頻繁にあるのです。

書かせていただくだけで嬉しいのは本当です。でも「書く」を超えて、自分が本当に大切だと思うことを、しがらみを乗り越えて「発信する」ことこそ、私の夢なのですね。今まで、忙しさにかまけて後手後手に回ってきましたが、ここでやらないでどうする、とお尻を蹴飛ばされた気分なのです。

まずはこのブログを再開という非常に小さな一歩から踏み出しますが、次第に大きなものへと育てていきたいと思っています。

ぼちぼちと、でも着実に。

芋虫がキャベツの葉を食むように

皆様に感謝

hometown
今回はちょっと重いですけど、ごめんなさいね。

なんという1週間だったんだろうと思っています。今、誰もいない実家で、ようやくPCに向かい、ブログをぼちぼち書いています。障害のある妹より、母と共々入院することになったと連絡があったのは先週のこと。

今年3月の父の死後、うまく泣けずにうつ状態に落ちていた母の調子がお盆以降さらに悪くなり、発達障害のある妹が一生懸命介護したのですが、キャパを超えたようでパニック状態となり、共倒れしそうになっていたところを、ヘルパーさんにより発見されました。そしてかかりつけの医師の判断で、急遽2人そろって心療内科へ入院となったわけです。

九州より叔母が急いで駆けつけてくれ、私も直ちにチケットを取り、日本へ飛びました。このような非常事態に、快く送り出してくれた夫と職場に感謝です。仕事に穴をあけるわけにはいきませんので、仕事で使っているラップトップをもって、日本へ。チームの皆さんに多大な迷惑をかけてしまっているのですが、皆さんが私の分の仕事もたくさん分担してくださり、本当に恐縮しています。

叔母と入れ替わりに実家に滞在しつつ病院へ。また、ケア・マネージャーさんや銀行の担当者の方、主治医の方やご近所の方と次々と会い、今後の方針についての話し合いを続けています。

病院では母と妹は一緒の部屋におり、優しい看護師さん、介護士さんの、真摯でプロフェッショナルな対応で、2人とも少しこざっぱりとし、顔色も良かったので、安心しました。

また、叔母やご近所の方が家の冷蔵庫や掃除を済ませてくださっており、また、新聞や生協も一旦止めてくれたので、しばらくは大丈夫な状態となりました。

家に帰って、父の写真に手を合わせ、「何故こんなことに…」と思っていると、どうしようもなく涙があふれてきたのですが、なにせ私のメンタルはかなり弾力性がありますので、物事をしっかり受け止めて、最善の方法を考えていかないと、と。すぐ立ち直りました。

明日は今後の治療法について、病院の担当者の方と話し合いを行います。やることはたくさんありますが、芋虫がキャベツを食むように、確実に少しずつこなしていこうじゃないかと、腕まくりをするような気持ちになりました。火曜日夜にはハワイに戻ります。

しばらくは2ヵ月に1回ぐらいは日本とハワイを行ったり来たりしないといけませんが、どうにかやりくりしてなんとか頑張っていくつもりです。いやあ、こんな困難に見舞われるとは思わず、ハワイでのんびりやっていましたが、この試練は自分を成長させる糧なんだと思うんです。誰もが通る道なんですよね。

本当に、皆様に心より感謝です。

急遽日本へ

父の死後、鬱を患っている母と障害のある妹が2人揃って病院に運ばれたとの連絡がありました。
急遽日本に飛びます。なので、しばしブログアップがアップできないかと思います。
すべてうまくいくことを祈りつつ、行ってまいります。